見えないところが変わったのか
かつてARIONはこう伝えている。
「2006年までに、原子力発電所の全面閉鎖をしなくてはならない。これは2016年以降の地球の汚染度の軽減化を計るためである。これらの汚染軽減策は、地球という惑星の生物的存続可能性ギリギリの生命ライン保持のためだ。
2006年から2013年には、地球は惑星規模のシフト(振るい分け)を経験することになるからである。」
これは日本人に宛てた書物だったので、全面閉鎖は日本の原発のことだと見ている。原発の話をしているのだから、汚染度というのは勿論放射能汚染の事だろう。2006年までに全面閉鎖は出来なかった。地球という惑星の生物的云々というのはガイア仮説を思い浮かべる。全ての物質に霊的側面があるとすれば地球も当然霊体があるのだろうが、話は放射能汚染なのだから物質的側面での問題だろう。ガイア仮説は地球が生物だと言っているのではなく、生物の構造と良く似通っているという話なのだが、霊体を持ち物質的代謝系を持つという意味合いから生命体だと呼ぶのならば、我々はその生物的存続が不可能になるようにしてしまったことになる。その代謝系の一部を我々人類も担っているのだから、他人事では済まない。
2006年までに全面閉鎖を達成できなかった結果、実際に2011年に福島原発が崩壊した。それは正しくシフト(振るい分け)の期間に起きたことだ。従って再来年の2016年以後、地球そのものも我々それにすがっている代謝系たる人類や様々な地球上生命が、存続できない危機的状況を迎えると言うわけだ。
シフトとは何か。意味は振るい分けのようだが、それならフィルタリングではないのか。あるいは揺さぶられるような何かにどう対応するかを試されているのか。
僕自身も大きな生活変化があって精神的にも肉体的にも揺さぶられたものである。だが常に直観で正しいと感じられる方へ行動してきたし、その直観を維持する為の努力を続けてきた。
2014年になった今、シフトの時期は完全に過ぎ去り、2016年が始まるまでの間にどのような変化が起きるのだろうかと戦々恐々である。当然放射能汚染の問題は更に深刻化するだろうが、地球自体の代謝系そのものにも変化が起きてくると思われる。しかし我々人間には何か変化が起きているのだろうか?
友人は「きっと見えないところで何かが変わっているのだろう」と言う。その時は曖昧に受け止めていたが、最近ふと気付いたのは「魂抜け」という言葉だ。2009年頃にその様な話があった。
人間は肉体を維持するために生まれた時から欲を備えている。成長と同時に精神的に自覚が発達するように、欲もまた成長し発達する。生存が保証されると、更により生きる為にもっともっとと欲しがるようになる。やがて人間の自意識を支配して欲の向くままに動かそうと画策する。これが何とも賢く、普通は誰もが欲は当たり前に存在し、その欲によって伝えられてくる感情というものは制御し難い衝動であると信じて、何ら問題意識を持たない場合が殆どになっている。だが人間の行動原理は欲だけではないように作られている。魂からの信号、それは身近な言葉で言えばその典型が良心というものだ。昨今政治家や役人の行動様子を見ていると良心より利益によって判断しているように見えてならない。それは欲の言葉に支配されているからだ。魂に沿った直観によって物事を判断しているわけではないという事である。その結果として我々は原発全廃をできなかった。魂からの信号を受けずに欲の信号ばかりで暮らしていると次第に魂からの信号を受け取れなくなってゆくという。
見えないところで変わった何かとは、つまり人間の心の中で起きている事だろう。魂抜けとは、余りにも魂からの信号を無視し続けた結果、魂がなくなる、あるいは抜けてしまう、いなくなってしまう、そんな状態を言うらしい。勿論多くの人々にとって自覚症状は得られないだろう。それだけ信号を無視して来ているのだから。善悪の判断が付かなくなり、損得勘定で判断するようになった人間…考えてみれば確かに、政治家や役人だけでなく、最近起きている悲惨な事件を思い返すと、正しく良心が見失われているようだ。
シフトとはこういう事だったのだろうか。揺さぶられ耐えられず遂に魂を失ってしまう人が沢山出て来ると。。。
これから2年間の間に、そうした具体例が多々現れてくるのかも知れない。